戦略的放浪家バックパッキャオの世界制覇! 200ヶ国の街ブラ紀行と其の雑記

戦略的放浪家(Strategic Nomad)兼アスリート経営者の旅と生活のユニーク情報発信ブログ。難病のモヤモヤ病等で10回以上死にかけながらも世界150ヵ国以上に張り巡らしたネットワークを活用しなが居候的な旅をする。確立したトラベルスタイル(バックパッカーのような旅をしながらもキャリーのスーツケース派)から自称バックパッキャー。呼びづらいので呼称をバックパッキャオ!にされる[アジア人で左利き(サウスポー)+ナイフ強盗退治の経歴からボクサーのパッキャオ(Manny Pacquiao)とかけあわせて]

あまりに歯(歯茎)が痛いので、海外でのお口のトラブル回顧録

こんにちは。
内容

とにかく痛いのだ

ここのところ、歯と歯茎の不調からブログ更新に影響が出始めている。どうやら歯石除去の際についた傷に細菌入ったのが発端のよう。それが以前神経をとる寸前までいった虫歯の辺りだったこともあってか、重傷化したみたい。詰め物した歯の噛み合わせの当たりが強いことから噛むと痛みがあったりもしたが、今回は別格。しかも厄介なのは、寝ようと横になると途端に痛みが倍増してくる。初めはその歯が原因だとおもっていたが、外用薬ぬったら痛みが収まったのでどうやら歯茎が原因らしい。抗生物質を飲むとかなり回復。ルンルン気分だったが、再発。菌をやっつけきれていなかったようで、耐性菌が心配。まだ今回は眠れるだけましだが、写真の整理なんてしてられない。

そもそも僕は歯医者も認めるほど強い歯だった。歯磨きしなくても虫歯にならないよ。汚い話だがなんて言われていたほど。それが変わったのは、噛み合わせの矯正をして以降。歯の象牙質の部分が出たことによって、虫歯になりやすくなったことと、矯正器具の周囲の歯磨き問題が大きかった。追い討ちをかけるように永久歯が出てきた時に虫歯予防で溝を埋めたシーラントというものが経年劣化?で浮いてきて、カスが気付かないうちにそこにたまって、気づいた時には大穴になっていて、水が入るだけでのたうち回るほどの痛みだった。歯の厄介ところは放っておいても悪化するだけということろ。ほんと悪くなったら直ぐに診てもらうのが鉄則ですね。

そんな悪くなると厄介な歯、海外旅行保険のところでも書いたが、旅においても歯科治療はネックだ。それは歯科治療をカバーしている保険が少ないからだ。10日程度ならなんてことはないだろうが、1ヶ月単位だとそうもいってはられない。なので虫歯になって以降、僕は旅に出る前に知人の歯医者さんにチェックしてもらってから旅に出ている。

痛みの回顧録

ドミニカ-ハイチ間バスで突然詰め物が外れたことなどいくつか思い出すものがあるが、歯のトラブルで一番に思い出すのは米国留学中の出来事。なんでそんなに記憶にあるかというと、人生で初めて腫れで顔が変形したから。あれは衝撃的だった。留学以前、僕の同級生が歯列矯正を行う際に親不知を抜歯した話をきいたことがあった。彼の親不知は砕かないといけなかったらしく、抜歯後顔が変形するほど腫れた、と語っていた。僕はまさかそんなわけない、大袈裟すぎる、と彼に言っていたのをよく覚えている。

幸い僕の親不知は下顎の両奥に2本綺麗に生えていた。なので生える際の痛みなども全くなく、トラブルがおきる等、想像もつかなかった。それが留学中のある日、物を噛むと少し痛みが出始めた。最初は気にもしなかったがその痛みは日に日に悪化するばかり。最後は物を噛むことすら困難になった。

米国にコブとり爺さん現る

保険にも入っていたので歯医者に行けばよかったのだが、米国は治療費が高いというイメージが強すぎたのと、病気は大体自己免疫でなおるという実践から、手持ちの痛み止めとデントヘルスで対処療法を開始した翌日、鏡を見て驚いた。僕の右頬が大きく腫れて変形しているではないか。僕の同級生が言っていたことが盛った話でないことがわかった。同時に、鏡に映った自分の顔が童話のコブとり爺さんのようで、少し笑えた。流石に病院と思ったし、同級生の話をきいていなかったら間違いなく慌てて行っていたと思う。人の話はちゃんときいて教訓にすべきですね(-_-;)

同級生の話では数日でおさまった(今思うと僕のケースとは原因が違うのだが…)ということだったことと、ちょうど腫れたのが金曜日だったので、週末様子をみて改善しないようであれば月曜日には病院へ行こうと腹をくくった。

土曜日、変化はみられなかった。日曜日の午後、心なしか頬の腫れがひいてきた感じにみえた。でも痛みはそこまで変わらない。だが、夜になってその痛みも少しましに。月曜日、腫れは8割方回復。痛みはあるものの、ものを少し食べれるようになった。なので結局そのときは病院に行かずに終わった。同級生の体験談にデントヘルス、あとは痛み止めに感謝。

3年遅れの現場検証

ただそれから3年、僕が噛み合わせ矯正を行う時に僕の抵抗むなしく綺麗に生え揃った親不知を抜歯しないといけなくなった。

そして抜歯してビックリ、腫れた方の親不知の周りには腐りかけたような歯肉がついていた。先生にきかれ、米国での話をすると多分その時のことが原因だろう、とのこと。親不知の周りに食べかす等が残り、炎症を起こしたようだ。結局その場で診察に行かなかったのではっきりとは言えないが多分智歯周囲炎だったのだろうとのこと。こうやって文字にするとさらっと終わるが、まぁなってみて初めてわかる苦しみは今でも鮮明に思い出せる。

たしか後年のナポレオンも歯の痛みなどから冷静な判断ができなくなって連敗しはじめたという逸話をきいたことがある。心技体とはよくできた言葉だと今改めて感じている。こんなことを感じ出すのは老いてきた証かもしれないが(笑)

To be continued

イスラム教のイメージを変えた出来事

アッサラーム

内容

イスラム教のイメージは?

以前にも少しふれたんだけど、はじめての中東、ヨルダンを訪れるまで、僕の中にあったイスラム教、ムスリムのイメージというものは多くの日本人と大差ないものだった。

その一因として考えられるのは日本にはある種の学校を除いては宗教教育というものがないことがあると思う。日本人にとっては宗教=胡散臭いものというイメージが定着しており、宗教について知ることすら憚られている感じさえする。

そこに加えて、日本のマスメディアで報道される海外のニュースは限られており、その多くは欧米視線からのもの。自由主義連合 vsイスラム教という構図の話題が多くのぼった2001年以降、日本におけるムスリムの存在はよくはわからないけれど、暴力的で怖いというものになっていった。

僕自身は留学中にムスリムの生徒等もいたので、極端にそういったネガティブイメージをもっていたわけではないが、そういったイメージがなかったわけではない。

やはり、イスラム教=聖戦などのイメージはしっかりとあり、アグレッシブな面が強くあるのは間違いなかった。

タクシーが再配達したものとは?

そんなイメージが大きく変わったのがヨルダンでの2つの出来事だった。

1つめはある日のアンマンで。その日はトレーニング後にアンマン市内のモールで買い物をして17時くらいにアパートに戻った。19時くらいには夕食を済ませてくつろいでいると、玄関の呼び鈴が鳴った。リビングにいたMさんが玄関に出ていって、少し何か話して、僕の部屋にやってきた。

僕「どうしたの?」

M「これあなたのものでしょ?」

それは僕のセカンドバッグとして旅で使っている使えるバッグインバッグだった。

僕「そうそう、どこかに落としてたの?」

M「タクシードライバーが持ってきたらしいよ。」

よくきいてみると、今やって来たのはここのアパートの住人。ゴミだしに出ていると僕らが帰宅するときに乗ったタクシーの運転手がやって来て、ここに東洋人が住んでいないかたずねたそうだ。住人の男性が、住んでいるし部屋も知っているとこたえると、僕がタクシーの中に忘れものをしているのを、次にのせた客が見つけて、それをわざわざここまで持ってきてくれたというのだ。

とりあえず中身を確認すると、ちゃんと全部揃っていた。まぁ中に貴重品といわれる類いのものは入れていなかったけれど、それでもカメラの予備バッテリー等、街中に持っていけばちょっとした小遣いにはなるものが入っていた。このくらい日本では当たり前レベルかもしれないが、海外ではこれでも稀だ。落としたものは帰ってこないと思えは鉄則。戻ってきても金目のものはまずなくて、拾った時には既になかったなどといわれるのが相場だ。

丁寧に保管していただいたものとは?

ここで既にちょっと感動した僕だが、続きがまだある。続きがあるということは、僕がまたやらかしたということ(-_-;)。死海を満喫後でどこか抜けていたのもあったと言い訳しておこう。それはモザイクの街マダバに向かった時のこと。タクシードライバーが休憩を兼ねてお土産に立ち寄った。そこで僕は今の旅の相棒の駱駝のペンケースに巡りあい、購入その支払いをカードで行った。

珍しく満足のいく買い物が出来てご満悦の僕だったが、10分くらい走って、車の中で一大事に気づく。いつもの場所にない。そう財布がない。思い返すと、先ほど購入時に店員との喋りに夢中になり、レジの付近に置いてきたのだ。

タクシードライバーに説明すると、大急ぎでUターン、引き返してくれた。そして先ほどのお土産屋が見えてきた時、さっき店員と一緒にくつろいでお茶をしていた地元の人と思われる数名がこちらに向かって必死で手を振っているのが見えた。そして店の前に車が止まると、先程の店員さんが僕の財布を持って出てきた。僕が財布を忘れて行ってしまったのに気づいて、皆で戻って来ないか待っていたらしい。

もちろん中身は全部揃っていた。さらにクレジットカードが含まれていたこともあり、念のため利用明細をその後もチェックしてはいたが、不正利用などされることもなかった。

財布やスマホが無事に帰ってくる世界でもかなりの稀少国日本ですら何割かは中身を抜き取られるご時世、もうこれは感動なんてものじゃなく、アンビリーバボーだ。

宗教教えとは?

この話を現地の知人等に話すと、それはイスラム教の教えが関係しているのだとか。禁酒やハラル等の自戒の中に人のものを盗んではならないという項目があるということは。ごくごく当たり前のことではあるけれど、ある程度敬虔なムスリムのはこういった自戒を破ることに大きな罪悪感を感じるのだそうだ。

海外からみた日本人のイメージは法律等のルールに忠実な国。そしてルールにはないものについても躾によるモラルが行き渡っているといわれる。それはある意味世間の目というものでの監視なんていうネガティブイメージにも繋がるとこもあるけれど低犯罪率といった良い意味でとられることが多い。

信仰心の希薄な日本では宗教(教義)ではなく道徳という形で培われてきたものがイスラムの世界では宗教というものがその役割を果たしているということのようだ。これはその比重に違いこそあれ、キリスト教はじめ宗教が根付いている国には共通なことだと後にわかってきた。

知ること≠入信

繰り返しになるけれど、宗教教育を受けていない日本人にとって、宗教というものはある種の人をコントロールしたり悪く言えば騙すためのもの、というイメージが強いとおもうけれど、中身をみてみると、僕たちが道徳と呼ぶ人としての行いが書かれているのだとわかる。けれども報道で宗教が報じられるのはその教義がねじ曲げられて悪用されたケースのニュースばかりなのでネガティブなイメージが植え付けられてしまっていると感じた。

いずれ改めて書く予定だが、日本人の無宗教というものはある意味で世界平和に貢献できる要因のひとつだと僕は感じている。ただし無宗教であることと、宗教に関して無知であることは全くの別問題。良くも悪くも宗教はグローバリズムの中での基礎教養のひとつ。まずは知ることでこれまで漠然と持っていた偏見や疑問から解放されるかもしれない。

PS. なんだかんだかいたけれど、置き忘れにはくれぐれもご注意を。置き忘れは保険の対象にもならないので。

To be continued

灼熱の地へ!アンマン街ブラ(ちょっとローカル編)

アッサラーム

前回はダウンタウンはじめ超有名どころを紹介しましたが、今回はもうちょっとローカル
内容

ヨルダンにあるパレスチナ人の日常

ワヒダッドキャンプ(Wihdad)

もともとは1948年のアラブイスラエル戦争でパレスチナを追われることになったパレスチナ人のために難民キャンプがここに設けられていた。それが50年以上の時をかけて、キャンプからパレスチナ系住民のコミュニティへと発展していったエリアである。

ダウンタウンやアブドゥンのような中、高所得者層のエリアとは違い

このエリアで僕達旅行者が見て面白い場所といえばやっぱり市場。ダウンタウンのスークとは違いゴミゴミとした喧騒感のあるスークは活気に溢れている。

僕がこのエリアを知ったきっかけはトレーニングジムだった。僕のトレーニングを見て話しかけてくれたおじさんと仲良くなり、話をしている中で、彼がパレスチナ系の移民だということを話してくれた。そうすると他のパレスチナ系の人々も集まってきて、歴史やヨルダンに来た背景等を話してくれた。そしてパレスチナ人の日常を見たいならワヒダッドキャンプに行くといい、といってくれたので、数日後早速タクシーに乗ってワヒダッドキャンプに向かった。

ワヒダッドキャンプ周辺は大通りですらなんとも言えない煩雑感に溢れたエリアだ。例に漏れず同じ業種が隣り合わせに軒を連ねる店。目についたのは日本の店舗でもよく見るウォーターサーバー。形はにているが、紙コップではなく、プラスチックや金属のコップが掛けてある。まさか…そうコップは共同で使うのだ(-_-;)さすがの僕もちょっとひいた。

そんな大通り通ってローカルスーク内へ。スーク内も、衣服エリア、スパイスエリア、フルーツ等エリアが分かれている。衣服関係は女性が切り盛りしているところが多い。

食料品コーナーは男性が多いし、子供達もリヤカーを引いたりして手伝っている。一家総出という感じ。そして彼らの好奇心は半端ではない。その当時はヨルダンでもスマホを所持している人は珍しかった。なので僕がスマホで写真を撮っていると、子供たちがまずよってきて自分達を撮ってくれとせがんでくる。それが終わって、進もうとすると、後ろからフルーツが飛んできて僕にあたる。何かと思えば、数件後ろの果物屋さん。用件はもちろん。”次は俺を撮れ”だ。別に撮った写真を皆に送るわけじゃないのに、みんなバッチリポーズを決めてくる。

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撮られたい人々!


恵まれたエリアというわけではないんだけれど、彼らの前向きなエネルギーと明るさは僕達が忘れかけている何かを気づかせてくれるような気がした。

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僕も撮ってとやって来た少年達

それと同時にほんと面白いものがたくさんある。

まずは塗り絵。ヨルダンでも人気のスポーツと言えばサッカー。なので世界のスター選手の塗り絵が売っていた。表紙は肖像権などお構い無しの写真なのだが、中の絵のクオリティが笑えるレベル。お隣の国の偽テーマパークよりもひどい(笑)みつけたら絶対にチェックしてみてほしい。

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サッカーに続いてUFC等の格闘技も人気のようだ

結構な割合で変わったマネキンがいる。どこかが欠けているとかもあれば、表情が独特すぎるものが多い。

各店舗に搬入されている商品の出所が不明すぎる。特に僕が見たなかでは履き物。明らかに中古や揃っていないサンダルがトラックで搬入されているところは日本ではまず見られない光景だろう。

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サンダルの搬送

一方で、日本ではふた昔前くらいに流行ったアーケードゲームがゲームセンターには並んでいる。僕らにとってはノスタルジック。

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昔の僕達をおもいださせてくれるゲームに没頭する子供(左)

なんだかんだ楽しみ尽くすには半日以上はかかる。写真のお礼に果物やちょっとしたスナックをいただきながらめぐって、僕が買ったものは、ベルト数本。なぜか?それはMade in シリアだったから。まぁ日本では見かけないでしょ。品質云々より珍しさ。そういう趣がわかる人には、良いお土産。この地域ではトルコ産のプロダクトは高品質で通っているようで、シリアも悪くはない、とのこと。僕の買ったベルトも3ヶ月くらいはもちましたよ!(笑)

ヨルダンにおけるパレスチナ人の日常を満喫した僕だが、翌日現地スタッフにその事を話したら、「アラビア語を満足に話せないのによくあそこに行ったな。チャレンジャーだよ」、って言われたけれど、そんなに危険な場所には思えなかった。

アンマンの街ブラの中では一番印象に残った地域だった。

ワヒダッドキャンプを力説しすぎたので、最後に申し訳程度になるけれど、ローカルな人々の集う場所を少しだけ。

本当にちょっとだけオススメローカルエリア

al-Weibdeh⇒ダウンタウンの中心地であるローマ劇場やレインボーストリートから2kmほど離れたエリア。Rainbow street 等に目がいって見落とされがちだがヨルダン流行の最先端なんて言われるエリアだ。

Al Swaifyeh⇒ダウンタウンから10km弱Gallarie Mall の近くにあるエリア。僕が行ったときは観光客のあまりいない、現地の人々の集まる場所、ストリートという感じだった。レストラン等も多くローカル気分を味わえる。

アンマンに腰を据えてじっくりという人も少ないだろうから、これらを参考に興味のあるところを選んで行って見てもらえればと思う。

To be continued