イスラム教のイメージを変えた出来事
内容
イスラム教のイメージは?
以前にも少しふれたんだけど、はじめての中東、ヨルダンを訪れるまで、僕の中にあったイスラム教、ムスリムのイメージというものは多くの日本人と大差ないものだった。
その一因として考えられるのは日本にはある種の学校を除いては宗教教育というものがないことがあると思う。日本人にとっては宗教=胡散臭いものというイメージが定着しており、宗教について知ることすら憚られている感じさえする。
そこに加えて、日本のマスメディアで報道される海外のニュースは限られており、その多くは欧米視線からのもの。自由主義連合 vsイスラム教という構図の話題が多くのぼった2001年以降、日本におけるムスリムの存在はよくはわからないけれど、暴力的で怖いというものになっていった。
僕自身は留学中にムスリムの生徒等もいたので、極端にそういったネガティブイメージをもっていたわけではないが、そういったイメージがなかったわけではない。
やはり、イスラム教=聖戦などのイメージはしっかりとあり、アグレッシブな面が強くあるのは間違いなかった。
タクシーが再配達したものとは?
そんなイメージが大きく変わったのがヨルダンでの2つの出来事だった。
1つめはある日のアンマンで。その日はトレーニング後にアンマン市内のモールで買い物をして17時くらいにアパートに戻った。19時くらいには夕食を済ませてくつろいでいると、玄関の呼び鈴が鳴った。リビングにいたMさんが玄関に出ていって、少し何か話して、僕の部屋にやってきた。
僕「どうしたの?」
M「これあなたのものでしょ?」
それは僕のセカンドバッグとして旅で使っている使えるバッグインバッグだった。
僕「そうそう、どこかに落としてたの?」
M「タクシードライバーが持ってきたらしいよ。」
よくきいてみると、今やって来たのはここのアパートの住人。ゴミだしに出ていると僕らが帰宅するときに乗ったタクシーの運転手がやって来て、ここに東洋人が住んでいないかたずねたそうだ。住人の男性が、住んでいるし部屋も知っているとこたえると、僕がタクシーの中に忘れものをしているのを、次にのせた客が見つけて、それをわざわざここまで持ってきてくれたというのだ。
とりあえず中身を確認すると、ちゃんと全部揃っていた。まぁ中に貴重品といわれる類いのものは入れていなかったけれど、それでもカメラの予備バッテリー等、街中に持っていけばちょっとした小遣いにはなるものが入っていた。このくらい日本では当たり前レベルかもしれないが、海外ではこれでも稀だ。落としたものは帰ってこないと思えは鉄則。戻ってきても金目のものはまずなくて、拾った時には既になかったなどといわれるのが相場だ。
丁寧に保管していただいたものとは?
ここで既にちょっと感動した僕だが、続きがまだある。続きがあるということは、僕がまたやらかしたということ(-_-;)。死海を満喫後でどこか抜けていたのもあったと言い訳しておこう。それはモザイクの街マダバに向かった時のこと。タクシードライバーが休憩を兼ねてお土産に立ち寄った。そこで僕は今の旅の相棒の駱駝のペンケースに巡りあい、購入その支払いをカードで行った。
珍しく満足のいく買い物が出来てご満悦の僕だったが、10分くらい走って、車の中で一大事に気づく。いつもの場所にない。そう財布がない。思い返すと、先ほど購入時に店員との喋りに夢中になり、レジの付近に置いてきたのだ。
タクシードライバーに説明すると、大急ぎでUターン、引き返してくれた。そして先ほどのお土産屋が見えてきた時、さっき店員と一緒にくつろいでお茶をしていた地元の人と思われる数名がこちらに向かって必死で手を振っているのが見えた。そして店の前に車が止まると、先程の店員さんが僕の財布を持って出てきた。僕が財布を忘れて行ってしまったのに気づいて、皆で戻って来ないか待っていたらしい。
もちろん中身は全部揃っていた。さらにクレジットカードが含まれていたこともあり、念のため利用明細をその後もチェックしてはいたが、不正利用などされることもなかった。
財布やスマホが無事に帰ってくる世界でもかなりの稀少国日本ですら何割かは中身を抜き取られるご時世、もうこれは感動なんてものじゃなく、アンビリーバボーだ。
宗教教えとは?
この話を現地の知人等に話すと、それはイスラム教の教えが関係しているのだとか。禁酒やハラル等の自戒の中に人のものを盗んではならないという項目があるということは。ごくごく当たり前のことではあるけれど、ある程度敬虔なムスリムのはこういった自戒を破ることに大きな罪悪感を感じるのだそうだ。
海外からみた日本人のイメージは法律等のルールに忠実な国。そしてルールにはないものについても躾によるモラルが行き渡っているといわれる。それはある意味世間の目というものでの監視なんていうネガティブイメージにも繋がるとこもあるけれど低犯罪率といった良い意味でとられることが多い。
信仰心の希薄な日本では宗教(教義)ではなく道徳という形で培われてきたものがイスラムの世界では宗教というものがその役割を果たしているということのようだ。これはその比重に違いこそあれ、キリスト教はじめ宗教が根付いている国には共通なことだと後にわかってきた。
知ること≠入信
繰り返しになるけれど、宗教教育を受けていない日本人にとって、宗教というものはある種の人をコントロールしたり悪く言えば騙すためのもの、というイメージが強いとおもうけれど、中身をみてみると、僕たちが道徳と呼ぶ人としての行いが書かれているのだとわかる。けれども報道で宗教が報じられるのはその教義がねじ曲げられて悪用されたケースのニュースばかりなのでネガティブなイメージが植え付けられてしまっていると感じた。
いずれ改めて書く予定だが、日本人の無宗教というものはある意味で世界平和に貢献できる要因のひとつだと僕は感じている。ただし無宗教であることと、宗教に関して無知であることは全くの別問題。良くも悪くも宗教はグローバリズムの中での基礎教養のひとつ。まずは知ることでこれまで漠然と持っていた偏見や疑問から解放されるかもしれない。
PS. なんだかんだかいたけれど、置き忘れにはくれぐれもご注意を。置き忘れは保険の対象にもならないので。
To be continued