また大変な時代に戻ってきた vol.2(イラン戦争、わずかな希望の光)
まだまだ先が見えない中東情勢だけど、その先のちょっとした希望を考えてみた
1.平和とグローバリズムの再認識
希望とは、まずは停戦になりある程度世界が落ち着いてからの話にはなるのだが、自国第一主義こそ正義、という方向に傾いていた流れがまた少しグローバリズム、そこまでいかなくても少しは周囲との協調という流れに戻ってくるのではないだろうか。今の世界で生活レベルを下げずに日々の営みを続けるには物質面では間違いなく相互協調が必要である。これは既にどこかの国の関税政策に対しても感じているだろう。
愛国心は大切だが、それを煽って他を敵対視した自国第一主義は、今では当たり前になった安全が担保されたグローバリズムによる貿易があってこそだ。
そこが当たり前になりすぎて、抜け落ちていたことを今回の件で世界は再認識する(してほしいという願望かな)のではないかな、と思う。決してどこかの爺達のように頑な方には進まないでほしいと祈るばかり。
2.グローバリズムあっての選択肢
良い例かはわからないが世界中を旅するなかで感じたことに近いのはビーガンやベジタリアンの方々。誤解しないでほしいのはビーガンやベジタリアンの方々に偏見があるわけではない(主義なので尊重する)けれど、旅のなかでそういった食に対する選別ができるのは豊富に食料があるなかでこそ成り立つのだと感じたことを思い出した。(肉を食べるくらいなら○ぬ方を選ぶという方がいればある意味すごいな、と思いますが)。
これと同じで今自国第一、他の排斥という主義は排斥しようとしている他よって支えられている基盤があってこそ成り立っている活動であるということに気付かなくてはいけないと思う。
3.リベラルの主張が全て正しいわけではないのも事実
こうした排斥に近い政党の主張のなかでもある程度合理性があるところもあるとは思う。その1つが富めるものが富みすぎて、搾取に近い形になっている部分があるところだ。
一昔前は稼げるものは偉い、でもそれを分け与える者はもっと偉いという風潮があったが、今は稼ぐ→富む→何をしてもよい、という振る舞いが目立ってしまう世の中になってしまった。
特にインターネット、SNS普及がこれまで見えなかった情報を皆に提供した結果だろう。エプスタインファイル騒動で名だたる有名人の責任が白日のもとに晒されているのを見ると、ディープステートの話も、全くの作り話とはねつけづらくなっただろう。あの、ビル・ゲイツですら聖人君子とは、いかず、奇しくも自らが発展させてきたIT技術により世界中にその内容が拡散されてしまった。
3.分断を埋めるのはやっぱり協調
こういった危機が起こると富める者はさらに富む。
世界の若者達が活動を起こしている背景の多くが、今ある貧富の格差は努力だけではどうにも埋まらないという不条理を感じてのものだろう。確かに稼いだ富を国が力付くで奪うなどということは、あってはならないが、どう是正していくか、これまで用いてきた税制などをどう時代に合わせていくのか、どれもこれも話し合いと協調が必要なのである。
ある程度平和な時代を送ってきた国々では与党の圧倒的多数で政策進めるのが理想という風潮があったが、ここまで分断が進むと話し合いと協調が不可欠である。
米国中間選挙のテキサス州上院民主党予備選で勝利したタラリコ氏が左右の闘争でなく、上下(富裕と貧困)の問題だという主張が受け入れられているが、これもともすれば分断繋がるだろうが、幸いにも彼は今のところ対話を通して解決しようという姿勢である(権力もつとどうなるかわからないが)。
皆が全ての面で平等なんていうこと望む人などほとんどいないだろうが、近年再び台頭してきていた富こそ正義、力こそ正義という風潮が再び話し合いと融和の方向に進むとすれば、この混乱の中にも一筋の光明があったいえるのではないか、と勝手に思っている。
また大変な時代に戻ってきた vol.1(イラン戦争、現代の危うさ)
Youtube(京都でなにすんねん!チャンネル)がスタートして、自己紹介の欄にこのブログのリンクを貼ったこともあり、これを契機に少しずつ再開してみようかな。
もともと書くことはやぶさかではなかったが、写真をライブラリーから取り出してきて、というのが、、、
まぁ、まずは文章でリハビリ。
本当にひどい時代に突入してしまった。ウクライナの時でさえ、今の時代に、と思ったがそれと同じ(世界への影響はそれ以上)ことが起こるとは。
1.結局人間って変わんないね
世界大戦を乗り越えて世界で平和を維持しよう、となってからまだ100年経っていない。僕自身が記憶にない戦争も多くあるので戦争間の間隔でいけば10ー20年ごと?に勃発、地域紛争があったといえ江戸幕府の200有余年の平和がいかに難しいかがわかる。
そもそも今は地域紛争と戦争の境目も曖昧にすらみえるが、当事国同士にとっては人的、物的に戦争だろう。
まぁ教科書で学んだ戦争を実際に目の当たりにする日が来るとは。
人間日々進化している、ともいわれるが根本的には何も変わっていないんだろう、と感じてしまう。
さらに最近質が悪く感じるのは、人間が感覚的な生き物へと戻りつつあり、そういった特性を利用して人、事への誘導が容易になったことじゃないか、と感じる。
ショート動画のような"サクッ"とみて"サクッ"と笑えてみたいなものが大流行、こんなブログの文章読んでみたいなのは流行遅れだろう。行間を読め、なんてwって時代なんだろうな。
ガリレオで福山さんが実に面白い、って考えることの面白さ伝えていたのも過去の話。
2. 感覚<話し合い(人間だから)
世界的に見ても、いろんな国で自国ファーストのマッチョ系候補が台頭している時代、先進国における中間層の縮小と貧困層の増大とあいまったよく昔のナチスの時の再来(時代は繰り返す)という声もきこえるなか、やはりマッチョ系で台頭している候補や党の主張は非常に明確だ。難しい話は無しで、瞬時に感覚に訴える言葉やリズムを駆使している。
仕組みが理にかなっていなくても、そんな小難しいことはわからないし、そもそもそういう仕組みが自分達を騙すために小難しくしているんだろう、と思う人も少なくない。
確かに本当に賢い人はどんな人にでもわかるものの言い方(各人にあわせて)でちゃんと説明できる人とはいわれるが、これとは性質が違うだろう。
皆にわかりやすくて、物事がうまく運ぶのは理想であることに違いはないが、社会構造が複雑になっている時代にそれが難しくなっていることは想像に難くはない(もちろん物事を複雑にして利を得ようとするもにが存在することも確かである)。
どこかを変えれば、どこかに歪みがでてくる。そのちょうど良いバランスをどうしていくかを話し合うのが人間ではないのかな。今は即効性がある劇薬のようなものの方が好まれる方向に世界は向かっているようである。
3.時代は繰り返す
そうした流れが生み出した指導者が(多分)ひどく個人的な事情により起こったのがここ数年の出来事(戦争とは概してそう)だが、2000年代の他の戦争と違うのは今回はどこの国も対岸の火事とはいっていられない状況である。世界の多くの国が被害を被っている今回はある意味世界大戦といっても過言ではないかもしれない。
先が見えず、不安しかない現状だが、そんな中でもなんとか希望を見いだしてみたいと考えてみた。
次回につづく
旅するアート 壱(デビューの軌跡…否、奇跡だな)
Buon Giorno
前回の広瀬アリスさんの着物の内容が思った以上に反響があったのでポツポツそういった記事も書いていこうと思います。某横綱さんの浴衣、先日はアイドルの方が成人式で着てくださったり本当にありがたいことです。
内容
通知表2から始動
皆さんが興味あるであろうそんな内容を差し置いて、今回は前回の最後に宣言した通り僕に関する内容です。
そう、アーティストデビューです。
昨日遂にオーダーメイドの壁紙サイトKABEGA(カベガ)さんにてアーティストとして表舞台に立ちました。いやほんと奇跡。僕以外は皆さんアーティストとして華々しい経歴の持ち主ばかり。高校くらいまでは確実に学校の美術関連の成績はトップだったであろうことは想像に難くないです。では、僕は…
https://kabega.jp/artist/detail/18

そもそも芸術的センスは全くなく、そういったものとは正反対な人生を歩んできた僕。
図工は苦手でした。特に絵を描くこと。いつも通知表2でした。兄弟の中に一人だけ非常にそういったことが得意な兄がいてその兄がすべての芸術的才能を持っていってしまったんだろう、と本気で思っていたほどです。
ほんと、昔の僕を知っている方々からは何故デザインの会社?って首をひねられます。僕自身もわかりません(笑)
塾講師の自習
そんな絵が全くダメだった僕に転機訪れたのは、成人してから。塾で講師をしていた時です。生徒達が数学の問題を解いている時に目に入ったテキストのイラスト・・・ふと思い付いたのが、絵も数学と同じじゃないのか、見えているものを同じ比率で配置すればとりあえず似たような絵になるんじゃないか。
ほんとこれだけなんです。思い立ったが吉日、と隙間時間に描いてみるとそれらしい似顔絵になりました。生徒達から「先生絵が上手いね」って。絵を描くことが得意な方に比べたらお話にならないれべるですが、一般的に下手では無いですね、っていうレベルのものが書けるようになりました。
ほんと単純なことに思えるこれが実に大切なことであり、ある種の芸術的才能の差にも繋がることをこれから5年ほどしてからしることになる。
芸術家の目力
それはドイツでの展示会にうちのデザイナーさん達と出展したときのこと。街中や電車から見える風景、建物、また展示会の会場の人など、彼らはそれぞれの特徴を一瞬にしてとらえ、記憶していたのだ。例えば、「さっきの赤いレンガの建物...」と僕が大雑把にしかとらえていな建物の特徴を彼らは、どこに窓がいくつか配置されていて、とかなり細部までとらえているのだ。なので一度見たものであれば、その直後であればかなり正確に描くことができるのだとわかった。
とかくスポーツでは眼の重要性が語られるし、僕も裸眼で2.0、150kmくらいはとらえられる動体視力には自信があるのだけれど、芸術家には芸術家の眼があるのだということを学んだ。彼らにとってそれは意識したことがあるものでなく、自然とやっていることだというあたりも才能なんだなと感じた。それ以降僕もそういった捉え方の練習はsじてみたが、どうも僕の限界値は低いようだ(笑)
スポーツもそうだけれど、芸術分野でも底辺からの出発。全てを理論でどうにか底上げしてきた僕がなぜアーティストとしてデビューできたのか。次回に続く。
to be continued.
