戦略的放浪家バックパッキャオの世界制覇! 200ヶ国の街ブラ紀行と其の雑記

戦略的放浪家(Strategic Nomad)兼アスリート経営者の旅と生活のユニーク情報発信ブログ。難病のモヤモヤ病等で10回以上死にかけながらも世界150ヵ国以上に張り巡らしたネットワークを活用しなが居候的な旅をする。確立したトラベルスタイル(バックパッカーのような旅をしながらもキャリーのスーツケース派)から自称バックパッキャー。呼びづらいので呼称をバックパッキャオ!にされる[アジア人で左利き(サウスポー)+ナイフ強盗退治の経歴からボクサーのパッキャオ(Manny Pacquiao)とかけあわせて]

転機は突然に(with モヤモヤ)

内容

 空白の5年

モヤモヤ病宣告から実質約5年、とりわけ直後の3年間はセカンドオピニオンを聴きに行ったり、病院をまわったりした記憶やその経緯、いくつかのことにもがいていた事実(これもまた改めて書く日が来ると思う)は覚えているけれど、それ以外の日常生活のことはあまり覚えていない。”とんでもな誕生日プレゼント(4)”の最後にも書いたが、ほんとにすっぽり抜けている。今このブログのために写真の整理を行いながら写真の日付をみて、ようやく思い出すものがたくさんある。僕にとってこのブログはある意味良いリハビリなんだと改めて感じた。空白の5年。フィクションの世界ではありがちなフレーズだけど、現実の世界で経験する人はそういないだろう。

宣告を受けたりあとに訪れた病院でその道の第一人者の医師から運動について「禁止もしないが、進んで許可というわけにもいかない」と言われた。要は自己責任でということ。正直怖かったけれど、これまで築きあげてきたことを無にするのは嫌だっだので、恐る恐るではあったがトレーニング等スポーツは続けることにした。むしろそれしかしていなかったといっても過言ではないかもしれない。あ~、あとは語学学習かな。幸いにも運動や日常生活には支障をきたさないくらいに回復した指だが、幼少期から10年以上続けていたピアノはちょっと厳しかった。脳の司令から実際にピアノの鍵盤をたたくには大きすぎる時間差が生じるからだ。

心境と運の比例式

そんな空白の5年間の中にあって、少しずつではあるが心境にも変化が起こっていた。はじめの頃はまた明日発作が起こるのではないか、という不安ばかりで、普段であれば気にもしないような体調変化でもすぐに病院に行って精密検査を受けたりもした。でも人間の忘れる能力プラス開き直りが心境の変化をもたらした。

「人生は遅かれ早かれ終わる。こんなビクビク生きるなら、それこそ明日その日が来ても悔いが残らないように生きよう」と。このての言葉は小さい頃に学校等でもよくいわれたありきたりの言葉だけれど、それを経験して実践している人はどれくらいいるものなのか。それまでの僕も明日という日は当たり前のように訪れるということが無意識にインプットされていて、そんな格言もキレイ事の一種として認識していた。だが今回の体験を通してはじめてその言葉を身に染みて感じたということだ。

そんなある日、以前に姉妹都市の友好親善大使としてボストンを訪れた際の団長のKさんから国際奉仕団体への集まりに誘われた。その団体は国際連合の創立や、今はマイクロソフト社のビル・ゲイツ氏のゲイツ財団との活動等を行っている団体なのだが、そんなこととは露知らず、とりあえず何かのきっかけになれば、くらいの気持ちで付いていくことにした。

しかし、この集まりというのが僕にとっては別世界だということを会場についてから気付かされた。その日の集いは立食形式のものだったのだがそこには、日本を代表する会社の社長さんやこれまた教科書にでてくる寺社の住職さん、茶道会の頂点の方等、住む世界が違う方々ばかりで、来る場所を間違えた気がした。

チャンスを運ぶのは王子様ではなくおじ様

そんな中、一人の精悍なおじさんが話しかけてきた。

おじさんY「しっかり食べてるか?Kさんの知り合いなんやろ?」

僕「はい、以前からお世話になっていて、今日お招きいただいたので、のこのこついてきました。」

少し日本人に対しては人見知りな僕からすると、なんて元気のいいおっちゃんなんやろうなんて思っていたがこの出会いが僕のモヤモヤ病からの復活と旅人への道を加速させるきっかけになるのだった。

そこから他愛ない話をしていると、どうやら僕の経歴を団長Kさんからきいて知っていたおじさんY。話の中で半年後に次世代のリーダーの育成を目的とした集まりがカナダのモントリオールで開催され、世界各国からの応募者の選抜審査が現在行われているという話をされた。

おじさんY「締め切りまであと実質2週間くらいしかないけれど、応募してみるか?」

僕「結構タイトですね…費用はいくらくらいかかるんですか?」

おじさんY「選ばれたら全額でるよ」

僕「そうなんですか!!?応募します。」

なんて現金な僕でしょうか。’現状を変えれるのではないか’という期待と共に、内容云々よりもタダで海外に行けるなてラッキーくらいにしか考えていなかったのも事実だ。。そんな打算を大いに含みながらもとりあえず応募することに決めた。

だがその後が少し大変だった。普通は3ヶ月ほどかけて準備する応募用の英語の論文や履歴書等を約2週間で揃えなければならなかった。それでも留学時代の論文作成等に比べればまだ余裕もあった。死にもの狂いでなんて言葉もあるけれど、何度となく命を失いかけた僕に言わせれば、「そんなこと言えるうちは死にません」!

なんとも不純な動機と純粋な期待の両方を実現させんとする思いが原動力となり、なんとか期日に間に合った。あとは結果を待つばかり。さぁ、どうなるのか。

To be continued


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