戦略的放浪家バックパッキャオの世界制覇! 200ヶ国の街ブラ紀行と其の雑記

戦略的放浪家(Strategic Nomad)兼アスリート経営者の旅と生活のユニーク情報発信ブログ。難病のモヤモヤ病等で10回以上死にかけながらも世界150ヵ国以上に張り巡らしたネットワークを活用しなが居候的な旅をする。確立したトラベルスタイル(バックパッカーのような旅をしながらもキャリーのスーツケース派)から自称バックパッキャー。呼びづらいので呼称をバックパッキャオ!にされる[アジア人で左利き(サウスポー)+ナイフ強盗退治の経歴からボクサーのパッキャオ(Manny Pacquiao)とかけあわせて]

Go To キャンペーン強行がもたらす”おもてなし”の未来。

内容

 

お金で買えるものと”買えない”モノ

今話題すぎるGo To キャンペーン。滑り出しから経費の問題でゴートーキャンペーンなんて言われて多難な未来予見させたキャンペーンがやはり、というべきかコロナの再拡大を受けて物議を醸し出している。僕の結論からいうと個人的には非常に残念でしかたないのだけれど旅を愛するからこそ今回のキャンペーンは延期すべきだと考える。同じくこのキャンペーン強行に警鐘をならしておられる各分野の専門家の方々がコロナの拡大、医療体制の逼迫や経済等についてはじゅうぶん過ぎる程発信しておられるので、僕は戦略的放浪家という旅人目線から思うところを述べてみる。

はじめに残念だと書いた通り僕もこのキャンペーンを利用しようと計画していた。海外で居候的旅をしていると、どうも国内旅行の割高感を感じてしまうので、ついつい敬遠してしまっていたところがある僕もこの機会に国内未踏の北日本をまわって全国制覇を達成してしまおうと目論んでいたので、延期や中止ということになると残念と思うひとりである。もちろん観光業携わる方々は生活に関わる問題だろう。

しかしながら、新聞やニュース記事で現地の人々の声をみていると、経済的には実施してほしいけれど、感染のリスクが大きくなるのは不安というやるせない気持ちというのが正直なところのようだ。自分も大病した身としては、忘れがちだけれどやっぱり健康ってお金では買えないし、ましてやコロナに関しては有効な治療法すら確立されていない。何より命あっての物種だということを忘れてはいけないと思う。経済は借金という形でも国が予算を付けて救えても、コロナというものは今のところお金ではどうにも対処できないのだから。

確かにコロナの流行初期は、この得体のしれいない新ウイルスにたいして移動制限が有効かどうかもわからなかった。しかし例としてあげて失礼だが、そこに果敢に立ち向かったスウェーデンが経済維持のために移動制限など行わず結局、命も経済もどちらも救えなかったという前例をつくってくれている。日本という国民性は以前程ではないにしろ、国などが呼び掛ければ皆がそちらを向く。でも逆に国がお墨付き与えればその逆もしかりだ。多くの他の国と比較して、良くも悪くも自己責任という言葉があって無いような国民性だと感じる

“お・も・て・な・し”から"ヘ・イ・ト"に。

そして経済的な面以外においても長い目でみれば観光業や旅行者にとっても今Go Toキャンペーンを強行することで起こりうる被害というのは小さくないと思う。こちらも命と同様にお金でなんとかなるという経済云々の問題ではなく、日本が売りにしている”お・も・て・な・し”に関わってくる問題だろう。

もしこのキャンペーンによる旅行者の増加で感染が拡大する事態になった時、特に旅行者を受け入れた土地の方々に感染が拡大した時に、その記憶は後々まで残りちょっとやそっとでは消えないだろう。ましてやそれによって尊い命が失われてしまったなどとなればなおさらだ。

そんなことを経験したあとに旅行者にようこそ、Welcome、なんて言えるだろうか。好意的に受け止めれるだろうか。旅行者のことを疑いの目でみるようになったり、ひどければ憎悪、今風にいえばヘイトという対象になってしまうかもしれない。飛躍させ過ぎといわれるかもしれないが、感染拡大地域からの旅行者によってそういった事態が発生した際には、憎悪の対象がその感染拡大地域に向くことで、トランプ政権後によく報じられるようになったアメリカでの国民の意識下における国家の分断というような状況が、ワンチームが売りの日本にも起こる可能性だって否定できない。

僕の旅のスタイルのところでもふれたのだが、僕の旅の主たる目的は街ぶらといえる。その土地土地の人々と交流することが何よりも楽しくかんじる。そして講演等で必ず受ける質問として、「どの国が良かったか」というものがあるのだが、僕の基準の中にはその土地の人々の温かさやユーモアと人に対する評価が大きい。どんなに貴重な歴史的建造物があろうが、素晴らしい博物館があろうが、そこに住む人々が旅行者を快く受け入れてくれなければ旅行者は肩身の狭い思いをし、決して楽しい旅の記憶とはならないのだ。

寛大なラテン気質にも限界がある

いろいろ例はあるが、その1つがスペインのマドリッドだった。南米のようなラテン気質で旅人オープンでフレンドリーだという勝手な期待を胸に降り立ったマドリッド、しかし地元の人々は冷ややかな反応も目立った。現地の知りあいにたずねると、昔は観光客にも好意的だったけど、それが増えすぎて日常生活に支障をきたすことも多く少しずつヘイトになってきたそうだ。それもある一定のマナーの悪い旅行者(深夜の路上でよって叫んだり、ものを壊したりetc)のせいだが、誰がマナーがよくて誰が悪いなど一見してはわからないので、悲しいことだが結局のところそれが旅行者全体へのヘイトとなってしまう。

似たよう事例でいえば、日本でもAirbnbや民泊でご近所トラブルになっているところも多いので想像するに難くないと思う。今回のGo To キャンペーンの強行はまさにこういった事例、命が絡むだけにもっと深刻な事態を招きかねないと思う。

最も効果的な防疫とは

確かに、経済を優先する政府(それ自体が悪いこととは決して思わない)が、何よりも既にシステムを稼働させてしまったGo to キャンペーンを取り消す、または延期することがいろいろな意味で難しい決断であることは理解できる。なんとか実施するために「感染症対策を万全に行ったうえで進めていく」と説明しているが、僕が知りうる限り具体策は何ひとつ示されていない気がする。それ以上にコロナに対しては事業者側の取り組み以上に、個々の意識、対策の方が大きな役割を担っているのが現実だと思われる。

人々の緊張感が緊急事態宣言中にくらべればだいぶ弱まっているのは確かだが、それでもコロナ流行以前に比べればコロナとの共生(withコロナ)というスローガンのもと世の中全体のコロナ対策への意識は相当あがっている。そんな日常の中ですら人の動きを戻すことで感染が再拡大しているのが現在の状況である。とりわけ今は無症状者も多い若年層の感染が目立つのが現状。

未来の旅行者のために守るべき文化

Go Toキャンペーンも最初はそういった若年層を中心とした利用が予想される。高齢者の方々は注意深く様子を見守ってから動きだすだろう。そもそも旅行者の大部分は日常を離れ、緊張感から解き放たれるために旅をするのであって、そんな解放感のある状況下で果たして個々人の感染抑制の意識は働くのだろうか。特に若年層にそれを期待することは可能だろうか。付け加えるのであれば、高齢層(相対的に金銭的にも若年層に比べれて余裕があることもあり)は出発前に体調に異変を感じれば旅行をキャンセルすることも多いだろうが、若年層となってくると仲間との付き合いもあるのだろうし、動ければそれこそGo!してしまうだろう。

こうした事情を踏まえて感染拡大を抑えながら観光業を盛り上げることは可能なのだろうか。それに大規模な規制をかせられながら旅をしてもきっと楽しい旅にはならないだろう。経済という視点で考えれば旅をしてお金を落としてくれればいい、ということなんだろうけれど、本来の旅行という視点、観光業の将来目線で考えれば延期というのが妥当じゃないのかなと考える(旅人の一人としても中止は寂しいので)。繰り返しになるが日本の誇り”おもてなし”を生み出しているのは政府でも政策でもない、各地の人々、もっといえばその心によってうみだされているのだ。海外からの旅行者が戻る前に失策によってこの誇るべき文化を自らの手で壊してしまうという残念すぎる結末だけは避けなければいけないと思うのは僕だけだろうか。

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混みすぎなんて贅沢な悩みを言ってた(左)時に戻って、美しい風景(中)を楽しみ、また海外の知人達を安心して受け入れることができる(右)環境が早く戻せるように今'も'頑張り時。

 

To be continued

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