戦略的放浪家バックパッキャオの世界制覇! 200ヶ国の街ブラ紀行と其の雑記

戦略的放浪家(Strategic Nomad)兼アスリート経営者の旅と生活のユニーク情報発信ブログ。難病のモヤモヤ病等で10回以上死にかけながらも世界150ヵ国以上に張り巡らしたネットワークを活用しなが居候的な旅をする。確立したトラベルスタイル(バックパッカーのような旅をしながらもキャリーのスーツケース派)から自称バックパッキャー。呼びづらいので呼称をバックパッキャオ!にされる[アジア人で左利き(サウスポー)+ナイフ強盗退治の経歴からボクサーのパッキャオ(Manny Pacquiao)とかけあわせて]

とんでもない誕生日プレゼント(2)

内容

 

喜べない勝利とロボットアーム

(ジムで体に異変が発生した翌日)、いつも通り目が覚めた…「まだちゃんと生きてるな」なんて思いながら上体を起こしてみる。「うん、なんてことはない。」やっぱり気のせいだったのかな。そこで布団から抜け出そうと手を動かした時に異変に気づいた。右手の数本の指が動かない。右手に目をやる、見た目はいつもと変わらぬ自分の手。上げ下げも問題ない。でも手のひらを握ったり広げたりができない、というより親指と小指の動きがスーパースロー。もちろん頭では”動け”と命令している自分がいる。でもその日本の指はまるで昔のロボットの手のようなカクカクした動きをさらにスローにしたようにしか動かない。そしてある一定より先までは動かない。可動域が狭まっていて親指と小指をくっつけることができない。

本当に不思議すぎる感覚。自分の体が自分の体ではないというのはこういうことか、と実感させられた。僕の頭の中ではガンダムアムロが叫ぶくらい僕の指に「動け!!!」とさけんでいるのに、指はそれに全然応えてくれない。指を動かすことがこんなに大変なことだと思う日が来るなんて想像もしていなかった。しばらくそんな指動きを観察して口をうごかしてみる。こちらも昨日痺れていた右側がぎこちない。

そこで僕の知識が勝利していたことを確信した。これは絶対に切れている、脳の血管が。でも全くもって嬉しくない勝利だ。むしろ周囲の見解通りただの思い過ごしであってほしかった。

奇妙な先生による問診

確かにこの指がまた使えるようになるのか、という不安は大きかったが、昨日の時点からある程度血管が切れているという予測をしていたからか、狼狽するようなことはなかった。両親兄弟全員が仕事で出払っていることと、右手の指2本と口以外は機能していたこともあり、自転車で5分以内の総合病院に自分一人で行ったことからも自分の中ではまだそこま深刻にこの事態を受け止めていなかったことがうかがえる。

総合病院なので診察券を入れてから2時間近く待って診察室へ。海原はるか・かなた、のはるかを細くした感じの見た目に、独特な雰囲気、少しねちっこい感じの喋り方の先生に経緯症状を説明すると。

先生「じゃ、指を1本ずつ曲げてみて。」

僕「はい。こうですか?やっぱり親指と小指は少ししかまげれません。痛みとかは全くかんじないんですが。」

先生「次はグーパー、グーパー」

僕「厳しいですね。これやっぱり脳の血管切れてますか?」

先生「うーん、とりあえずCT撮ってみようか。」

CTの撮影室へ。こんなの撮るのは小学生の時に同じく脳のMRIを撮影して以来だ。「これ診察代高いんだろうな」とこの状態でもまだそんなことを考えていた僕。やっぱりまだ深刻に受け止めていなかったんだな、とつくづく感じる。

(長州さん)「キレてますか?」「はいキレました!」

撮影時間入れてかれこれ1時間でまた診察室に呼ばれた。診察室に入ると撮影した画像が出来上がっており先生がそれを見ていた。僕が椅子に座ると、ボードに貼られたその画像を指差して

先生「やっぱり切れてるね、ここ白くなってるところ。右手と右の口だから、脳だと左側のところね。」

僕「やっぱり。これって頭あけて手術するんですか?」

先生「いや、広がりはないみたいだから様子を見ながら」

僕「でも今出てる血はどうするんですか?」

先生「このくらいだと時間がたてば血管に再吸収されるから。」

僕「そしたら指は動くようになりますか?」

先生「ある程度は戻ると思うけど…」

僕「よかった。じゃあ今日はもう帰っていいですか?」

先生「あかんよ。しばらく入院やで。今の症状とかより、その年で脳の血管が切れたことが普通じゃないから詳しい検査しなあかんわ。」

僕「えっ!そうなんですか?そんなに珍しい?でも僕入院の用意してきてないんで取りに帰っていいですか?」

先生「あかんよ、今すぐ入院。今日は何で来たん?」

僕「自転車です。」

先生「よくその状態で自転車なんかで来たな…」

と少しあきれていた。そして直ぐに家族に連絡してくれということだったので、父に電話して来てもらうことになった。

こうして人生初の入院生活がはじまるのだったが、まだこの時点でもこの先のさらなる悲劇を予想だにしていなかった。

To be continued

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