灼熱の地へ!いよいよペトラ。馬借に注意
内容
早朝に見かける車とは
ヨルダン到着当日からジムでトレーニングと体力はじゅうぶんな僕。翌日はペトラへ。いくつか行き方がある(ヨルダン基本情報を参照)けれど、日帰りを考えていた僕達はJettバスを選択。アンマンからのバスは朝6時発の1日1本のみ。チケットは事前にネットで購入していたので朝5時半に起きてバスの事務所に向かった。
朝早くの街で目に入ってきたのは、一昔前下水道整備前に日本でよく見かけた汲み取りのトラック。でも用途は汲み取りではなく、各家庭や建物に給水にきているとのこと。よくみるとどの建物にも屋上等にタンクが設置されているのに気づく。ここでも水道網が当たり前に思っている僕らがいかに恵まれているかを思い知らされる。
見た目につられて
6時過ぎくらいに事務所に到着すると既に数組が待合室にいた。そしてバスは6時きっかりに出発。朝早いこともあり、多くの乗客は寝ていたが、僕はあまり代わり映えもしない車窓から写真を撮っていた。目の調子がおもわしくなかったMさんも寝ていた。
片道3時間、行程の半分くらいで日本で言うところの道の駅のようなところに停車した。水や食事はこういうところだと割高なのが予想できたので前日に購入していた。ただ、ペトラが印刷されたアイスクリームがあった。中は普通のアイスだとわかってはいたがまんまと購入させられた(笑)。250円くらいだったと思う。
その後1時間半ほどでペトラに到着。Jettバスの良いところはペトラのゲート前まで運んでくれるところ(ローカルバスは手前の村まで)。駐車場には数台の大型バスが停まっていた。アンマンより標高の少し低いペトラ。バスを降りると結構気温が上昇していた。
日本人優勢!
まっすぐに遺跡の入り口に向かうが、途中には既にお土産を売る露店商が数組いた。まずはチケット売り場にてチケットを購入する。僕は観光客価格の50JOD、でもヨルダンに駐在証明のMさんは現地人価格の1JOD。日本ではほとんど見られないが、海外では国民や市民の入場料が優遇されている場所が多々ある。そんなせいもあってか、移籍内には多くの現地人が露天を出している(1JODすら払っているか疑問だが)。確かに品物がいくつか売れればもとはとれると納得。さらにツアーガイドを申し出てくる現地人もやってくる。チケット売り場でも公式ガイドの料金が記載されているが、それより安いことを売りに近寄って来るのだ。
実はここでも驚きが!彼らは東アジア人の風貌の僕らを見てかけてくる一言目が”こんにちは”など日本人なのだ!確かに中国人の大群が押し寄せる少し前の時代とはいえ、ペトラという場所に来る日本人がいかに多いのかを知ることができた。世界中まわってきたがこの現象は世界でも稀だ。
VS馬借
もう少し先に進むと、駱駝にロバに馬という乗り物を提供するグループが待ち構えている。僕は片道は必ず全て歩き、帰りは時間を見て乗り物にと考えていた。乗り物の中では地球の歩き方には入場料50JODには馬の代金が含まれていると記載があったので、馬に乗る計画をたてていたので、他の動物に目もくれず、馬借のところに一直線、貸してくれるようにお願いに行った。小さな頃はジョッキーも夢の1つだった僕は馬に乗れることも特技だ。
僕「おはようございます。この馬借りれますか?」
馬主「いいよ。50JODでどうだ?」
僕「はっ?いやいや、本やチケット売り場の所に馬の料金込、っなっていたよ。」
旅行者相手のボッタクリか、と頭にきだした僕。
馬主「俺が付いていくんだ、その代金だよ。」
僕「俺は馬にのれるからあんたはここで待っていてくれたらいいよ。」
馬主「見知らぬ奴に馬だけ渡せない」
僕「じゃあデポジットとしてお金をあずけるから帰って後でかえして。」
馬主「駄目だ。馬はタダだが世話人の料金が必要なんだよ。」
ここまでくるともう無理だな、と感じて僕は退散。どうせ遺跡内にはまだまだ別の乗り物レンタル屋がいるとふんですすむことにした。想定がはずれたこともあり、それにしてもこのときばかりは地球の歩き方にもちょっといらっときた。
さぁ遂に片道8kmに及ぶ灼熱の散歩がはじまる。最近の日本では35℃を越える日中の活動は控えるように言われているが、それを軽く越えてくる温度の中の散歩だ。日陰も少なく地表の温度は軽く50℃越えの夏真っ盛りに訪れる観光客自体少ないし、特に日本人の姿なんてなかったことからもわかるが、きっとクレイジーな選択だったのだろう。
次回は写真で見るペトラ(ありきたりです)
To be continued