戦略的放浪家バックパッキャオの世界制覇! 200ヶ国の街ブラ紀行と其の雑記

戦略的放浪家(Strategic Nomad)兼アスリート経営者の旅と生活のユニーク情報発信ブログ。難病のモヤモヤ病等で10回以上死にかけながらも世界150ヵ国以上に張り巡らしたネットワークを活用しなが居候的な旅をする。確立したトラベルスタイル(バックパッカーのような旅をしながらもキャリーのスーツケース派)から自称バックパッキャー。呼びづらいので呼称をバックパッキャオ!にされる[アジア人で左利き(サウスポー)+ナイフ強盗退治の経歴からボクサーのパッキャオ(Manny Pacquiao)とかけあわせて]

灼熱の地へ! 海外4ヶ国目も意外な国

アッサラーム・アライクム

カナダのプログラム参加後からお世話になった団体等を通じて社会福祉活動などに参加して空白の5年を取り戻すべくこれまで以上に外の世界に出ていくようになった。そんな中で次の海外へ行く機会が舞い込んできた。

内容

 

きっかけは筍掘り

僕は毎年春に知人の手伝いで週に数回の筍掘りという生活サイクルが訪れる。そしてその知人がシーズンの最後には友人知人を呼んでの筍掘り&バーベキューという恒例行事を催す。例年のように参加したバーベキューにその年は知人が支援しているNGO団体の方がやって来ていた。そのNGO団体は通常は中東でオリーブの有機栽培の指導や職業支援学校の運営、そして紛争等が起こればそこに支援を送る等、世界中で活動をおこなっていた。

そしてその中に米国での企業勤めをやめて転職してきたMさんがいた。話した感じは関東の方という感じで関西人のようなノリではなかったけれど、Mさんもアメリカ生活を送っていたこともありそういった話題で仲良くなった。それから2ヶ月、いろいろ話をしているとMさんは中東に赴任することになっているということだった。候補地はイスラエルかヨルダンのどちらか。その当時の僕にとってはどちらも想像がつかない土地。周囲の人達と変わらない程度の知識しかなく、中東という響きは2001年以降の米国とのいざこざやイラクでの邦人の捕虜、内戦の始まっていたシリアと、きな臭さを通り越して、多くの日本人と同じような漠然とした怖さのみがあった。さらにイスラエルパレスチナ問題を抱えていることが真っ先に頭にのぼる。

怖さと興味の天秤

Mさんはイスラエルに興味があったようだが、結局赴任先はヨルダンになった。ヨルダンにある職業訓練学校で講師としての赴任だった。僕もヨルダンについて調べてみると、ヨルダンはイスラエルだけでなくシリアとも国境を接しているではないか。今だったら、そんな状況でも羨ましいと思うに違いないが、当時の僕にとっては、そんな危険なところにはあんまり行きたくないと思いながら話ををきいていた。

そして、出会ってから数ヶ月後に予定通りヨルダンに赴任していったMさん。その後もメールでやり取りしていた。そんなある日、ヨルダンに手伝いも兼ねて来てみないか誘われた。どうやら通常は現地に日本人の駐在員が2ー3人いるそうなのだが、入れ替えのために約1ヶ月ほどMさん一人になってしまうのだとか。滞在先など全て手配してくれるとのことだが……行くべきか。ステレオタイプの力ってやっぱり凄い。中東=危険という方程式が組みあがっているので二つ返事出来なかった。

それでもいろいろ調べていくうちにペトラや死海への興味と、これまで単に危険というイメージを持っていたものが、逆いえばこういう機会でもなければ訪れることは無いのではないか?という発想に転換していった。話をいただいて約2週間、遂にヨルダン行きを決めた。温暖化で猛暑日が珍しくない最近の日本だが、この時の中東滞在ほど灼熱を体験した夏は今だかつてない

f:id:MAPNEX16:20200805203546j:plain

旅のパートナーのラクダのペンケース(猿ではありません!)

To be continued