戦略的放浪家バックパッキャオの世界制覇! 200ヶ国の街ブラ紀行と其の雑記

戦略的放浪家(Strategic Nomad)兼アスリート経営者の旅と生活のユニーク情報発信ブログ。難病のモヤモヤ病等で10回以上死にかけながらも世界150ヵ国以上に張り巡らしたネットワークを活用しなが居候的な旅をする。確立したトラベルスタイル(バックパッカーのような旅をしながらもキャリーのスーツケース派)から自称バックパッキャー。呼びづらいので呼称をバックパッキャオ!にされる[アジア人で左利き(サウスポー)+ナイフ強盗退治の経歴からボクサーのパッキャオ(Manny Pacquiao)とかけあわせて]

灼熱の地へ!未知の世界と無知の僕

アッサラーム

内容

 ドバイとの違いと空港名物のあれ…

ヨルダンの首都アンマンのクイーンアリア国際空港に到着した僕。ゲートに着き窓の外を見るととなりには黒を基調にしたデザインの日本では見ることができない航空会社ロイヤルヨルダン航空の航空機が駐機していた。個人的に非常に好きなカラーリングで、日本に発着していたらすぐにでも乗ってみたいと思っていたので少しその機体に見とれていた。

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個人的に非常に好きなカラーリングのロイヤルヨルダン航空

 

そして降機。乗り継ぎのドバイではここで高温多湿の熱波を感じたが、ヨルダンでは確かに暑かったが”むっ”とするような湿度は感じなかった。

そしてそのまま空港内にはいって行くとそこもドバイの空港とは大違い。かなりの年季を感じさせる外観であり、よく言えば途上国らしいさを感じさせてくれる空港だった。それもそのはず、この時となりには新空港が建設中で、1、2年のうちに完成しオープンするところだったのだ。

ある意味こじんまりした空港だったのでそんないに歩かされることもなく、入国審査にたどり着くことができ、その後の税関も問題なくパスして到着ゲートを出ると、この先100ヵ国以上旅する中でで嫌という程耳にする世界共通語”Taxi? Taxi?”と共にアラブのおじさんたちが近寄ってくるのが見える。でもこの時はゲートをでてすぐにMさんの姿を発見(アラビアンの中に日本人の顔が一人なのですぐにわかる)を見つけた。向こうも気づいてこちらに来てくれた。

M「来てくれてありがとう。道中しんどくなかった?」

僕「これまで乗った飛行機のなかで一番快適やったし、全然問題文ない。それよりも頼まれもの」

M「それは後で、運転手を待たせてあるからとりあえず市内のアパートに行きましょう。」

そう言われるままに、空港を出るのだがその間もタクシーの運ちゃん達がやって来て精力的に勧誘し続けてきた。車あるからいらないって言ってもひきさがらないんだから見上げた根性だ(笑)

これは砂漠ですか?

そして空港を出ると、やはり熱気は凄いんだけど、日本やドバイで感じた湿度を感じなかった。とうより高温低湿度というmのが人生初体験だったので、不思議な感じだった。ドアを出て少し歩くと駐車スペースで運転手が待っていた。

運転手「はじめまして、ヨルダンにようこそ。空路はどうでした?」

そういいながら、僕のスーツケースを車に積む手助けをしようとこちらに寄ってきた。

僕「はじめまして、おかげさまで快適でした。僕一人で積めるから大丈夫です。」

運転手「いやいや、手伝うよ。ヨルダン暑いでしょ?」

僕「確かに気温は高いのわかるんだけど、嫌なあつさじゃないというか、不思議な感じです。」

運転手「日本とは違って湿度がそんなにないからだろうね。大丈夫そうで何より。それじゃ行こうか。」

荷物をトランクに詰め終え、僕達3人は車に乗り込んでアンマン市内へ出発。どうやらこの運転手さんは普段このNGOの職員さん達をアンマンから近郊の街にある職場に送り迎えしている方だそうで、今日はご厚意で空港まで来てくれたそうだ。

空港の敷地内の隣には建設中の新空港の建物が見えた。当然ながら外観もキレイだった。空港をでてしばらくは土がむき出しの大地が続く。無知な僕は思わず

僕「砂漠?」

M「ハハハハ、これはただの土だよ」

運転手「ハハハ、砂漠を見たことないんだね。もっと違った景色になるよ」。

僕「いや、中東で土の景色みたら全部砂漠の一部だと思うよ」

なんて無知ぶりを見せつけながらドライブは続く。まぁこの1ヶ月後に僕はこの発言がほんと砂漠さんにいかに失礼だったかを思い知るですが。

またその土の大地にはロバを引き連れた人々がポツリポツリといた。すると運転手さんが

運転手「あれはベドウィンと呼ばれる遊牧民だよ。長い年月ずっとああやって暮らす伝統あるんだよ」

僕「へぇ~そうなんですね。失礼ながら僕はホー◯レスの方かと思ってました。」

運転手「まぁ定住する家がないという意味ではそうかも(笑)」

なんて僕の失言を笑いに変えてくれた。

そんな風景を楽しみながらも、行けども行けども街らしきものは見えずさすがに少し心配になった。本当にここで1ヶ月やり過ごせるのか、と。

 

大都市の中の穴場地区?

走ること30分、遂に眼前に大きな集落、いや大都市が見えた!アンマンの市内だ!人口約300万(当時)の大都市。しかもすり鉢場の街並みがそれは見事な眺めだった。さっきまでの不安が一気に吹き飛んだ。

街中は渋滞こそしていなかったが車は多かった。さすがに都会とあって、テレビなどでみるステレオタイプのアラブとは違い、モダンな内装の建物や、大型のスーパーマーケットも目についた。そんな市内を走ること20分、僕の居候するアンマン市内のアパートに到着。空き地を挟んで隣はホテルだが、決してアジアとかヨーロッパ人向けのホテルではなかった。ほんと、まさにローカルエリアのローカルレジデンス。

運転手さんにお礼を言って、いざアパートへ。いよいよヨルダン生活がスタート。果たして僕がはじめにしたこととは。

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中心地から少し離れた住宅街の一角にアパートはあった。

 

To be continued