戦略的放浪家バックパッキャオの世界制覇! 200ヶ国の街ブラ紀行と其の雑記

戦略的放浪家(Strategic Nomad)兼アスリート経営者の旅と生活のユニーク情報発信ブログ。難病のモヤモヤ病等で10回以上死にかけながらも世界150ヵ国以上に張り巡らしたネットワークを活用しなが居候的な旅をする。確立したトラベルスタイル(バックパッカーのような旅をしながらもキャリーのスーツケース派)から自称バックパッキャー。呼びづらいので呼称をバックパッキャオ!にされる[アジア人で左利き(サウスポー)+ナイフ強盗退治の経歴からボクサーのパッキャオ(Manny Pacquiao)とかけあわせて]

とんでもない誕生日プレゼント(4)

内容

 たちの悪いジョーク?

誕生日に医師に呼ばれた両親と僕を待っていたのはモヤモヤ病の告知だった。それをきいた僕はそのジョークのような病名に安堵感さえ抱いた。

僕「なんですか、その病気?深刻なやつですか?」

医師「そうやね、難病で今のところ原因も治療法もない病気です。」

僕「…モヤモヤ病ですか?なんかふざけた名前にしかきこえないんですけど。」

しかしこのあと医師の説明をきくにつれて、この病気の怖さを思い知らされた。

モヤモヤ病(ウィリス動脈輪閉塞症)とは端的に説明すれば、通常太いはずの脳の大動脈とも言うべき血管が細い。そうなると脳に流れる血流が少なくなるので、体がそれに適応しようとして細い血管をたくさん形成する。そうして出来た血管の集まりが煙りやモヤのように見えるところから通称モヤモヤ病と呼ばれるようになった。そうした血管は1本が細いので、詰まりやすいし酸欠を起こしやすい。なので重度の患者さんだと、ラーメンを冷ますのに息を吹き掛けるだけで、立ち上がれなくなったりする。そうしたそもそもは血管が梗塞することが多い病気だが、そうした細い血管は強度的にも劣るので脳内出血のリスクも正常な状態の人より大きくなるそうだ。そしてこの病気はほとんどが日本人にしか見られず、その当時西洋人での症例はない、とのことだった。

モヤモヤ病の詳しい説明はこちら。

https://www.nanbyou.or.jp/entry/47

悪運はまだ残っていた

きけばきくほど恐ろしい病気だった。そうした一連の説明を受けた後、数分前の自分からは想像もつかない絶望の淵にいた。ただ、今回は本当に運がよかったらしい。出血の場所があと1cmずれていたら歩けなくなっていたとのことだった。そんなもう自分でも整理しきれない頭と感情のなか絞り出した言葉が、

僕「運動は続けることができますか?」

医師「私この病気の専門じゃないからはっきりとは言えないけれど、厳しいんじゃないかな。」

スポーツ苦手だったけど、そのスポーツをするために米国行って、光をつかんで帰ってきたのにスポーツできないなんて。本当にとんでもないプレゼントだった。そもそもなんで誕生日の日に告知なんや。とすら考えれないくらい落ち込んだ。その後もしばらく医師、両親を交えていろいろ話をしたけれど内容は全く覚えていない。

今回の出血に関しては回復してきているので数日で退院できるとのことだった。その後は専門医のいる病院に行って治療方針を話し合うように言われ、紹介状を渡された。

父は偉大なり

スポーツができないことへの絶望感もそうだが、この時、人生ではじめて死へのリアルな恐怖を感じた。ブラジルをはじめ何度も危ないことはあったけれど、それはいってみれば一過性の事故みたいなものばかり。これはこの後の人生でずっと付き合っていかなければならない脅威であり恐怖ということが大きな違いだ。脳の血管が切れたのは何の予兆もなく気づくこともない一瞬の出来事だった。これが次回別の場所で起こったら…そう考えたらきりがない。次はいつ起こるのだろう、1分後かもしれない、そんなことしか考えれなくなっていた。

今この時点でも自分からの視点で書いている僕だが、後から兄にきいた話では両親も相当にショックを受けていたらしい。そんな僕が今でも覚えていることは、病室に戻り不安と恐怖という自分のことでいっぱいいっぱいの僕に父がいった一言

父「人間は思っているよりもずっと強い。そんな簡単には死なない」

と言って僕の手を握った。何の根拠もない単なる慰めの言葉といえばそれまでだろう。でもその時の僕にはなぜか大きな安心感を与えてくれた。この日の会話のなかで覚えている数少ない言葉であり、一番胸に残っている言葉と手の感触だった。

このあと復活までにいくつか紆余曲折あるのですが、どこかのタイミングで少しずつ書いて差し込んでいきます。結論からいうと、このあと自分の心が完全に吹っ切れるまで5年かかった(この5年という数字はこのあと訪れたモヤモヤ病の専門医の話が大きく関係する)。その5年間引きこもっていたわけでもなく、不安や恐怖のなかなんとか前進しなければという思いで活動はしていたけれど記憶にはほとんど残っていない。特に宣告後の3年はすっぽりっていう言葉がぴったり。脳が無意識にに忘れようとしているのかもしれない。僕の中では空白の5年(本当にスッポリと抜け落ちてしまっている3年+助走の2年)。今では周りの人間、多分親ですら僕がモヤモヤ病名であるということを忘れてしまっているじゃないかというくらい、健常者より健康にみえているみたいなのは喜ぶべきことなのかな?

この病気、歌手の徳永英明さんがかかったことで少し話題になったこともあるこの病気だけれどまだまだ認知度はまだまだ低いのが現状です。よくも悪くも外から見ただけでは病気とわからない病気です。

自分史のなかで大きなターニングポイントだったので経緯に結構な回数を割いてしまいました。次回は別のお話。

To be continued

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服装からして入院患者っぽくない。多分病棟ではかなり浮いていたんだろう

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