戦略的放浪家バックパッキャオの世界制覇! 200ヶ国の街ブラ紀行と其の雑記

戦略的放浪家(Strategic Nomad)兼アスリート経営者の旅と生活のユニーク情報発信ブログ。難病のモヤモヤ病等で10回以上死にかけながらも世界150ヵ国以上に張り巡らしたネットワークを活用しなが居候的な旅をする。確立したトラベルスタイル(バックパッカーのような旅をしながらもキャリーのスーツケース派)から自称バックパッキャー。呼びづらいので呼称をバックパッキャオ!にされる[アジア人で左利き(サウスポー)+ナイフ強盗退治の経歴からボクサーのパッキャオ(Manny Pacquiao)とかけあわせて]

2戦目もグロッキー

Hello

もう少しだけおつきあいください。

結構散々な海外デビューから5年。高校3年進級前の春休み。デビュー戦の強烈ホームシックの記憶も薄れていた頃。

今回も姉妹都市の友好親善の使節団として。しかも今回は僕が市長からの親書を手渡されて、新聞にも掲載された。そんなこともあって今回はヤル気満々、別に前回何か得たわけでもないのに、ちょっと先輩ぶってみたり。

人間の忘れる機能ってすごいですね。散々な経験さえも喉元過ぎればです。

関空⇒ボストンは前回変わらぬ道程。デルタ航空(ノースウエスト航空吸収されて)変わったことくらい。そして前回と同様に皆と一緒の間は元気いっぱい。さあ問題はホームステイが始まってからだ。

今回は歳上の大学生と年下の中学生の3人神父さんの家にステイ。天真爛漫というか、少し奇行とも思える中学生となかなかたくましい大学生にはさまれて以前ほどのホームシックの気配はない。

だが、寝室で一人になると、間接照明の色と日本とは違う見慣れない家が立ち並ぶのをみて、またまた悲しい気持ちになってきた。おまけに今回はある程度の予備知識がある。だがそれは全てネガティブな予備知識ばかり。「アメリカは銃社会だ、深夜強盗が押しいったらどうやって逃げよう。しまいには、ここから帰れないかもしれない」、とか。

高校生になりましたが、どうやらホームシックと年齢は関係なかったようです。しかしながら今回は泣くわけにはいかんのだー!

なんとか気晴らしを考え、リビングで野球のシャドーピッチングをしていると、ホストの神父さんがやって来て

神父「君は野球をするのかい?」

僕「はい、野球部です。メジャーリーガーになりたいな(笑)」

神父「そうか、良いところに連れていってあげるよ」

その2日後に神父さんが連れていってくれたのは、ボストンレッドソックスの本拠地フェンウェイ・パーク。しかもシーズン前の整備中のグラウンドに入れてもらいました。

凄いことはわかったし、いい球場だな、とも思ったけど、実をいうと僕はこの時NYヤンキースや、野茂のいたドジャースくらいしかメジャーリーグのことは知りませんでした(汗) すみません。

帰りにレッドソックスのグッズをお土産にもらってなんか嬉しくなったのか、今回はこれを機にホームシックを脱却。現金なやつです。親善大使の大役もはたして何もなかったかのように帰国したけど、実際はやはり情けない二戦目でした。フェンウェイ・パークいってなかったら前回の二の舞になっていたくらいのグロッキー状態でした。

でもこの訪米(ある意味フェンウェイ・パークのみだが)が転機になった。アメリカで野球がしたい。でもスカウトなど来ない僕がとる行動は…「ボストンの有名大学に行けば、野球やらせてもらえるだろう。」モチベーションこそ達成のための原動力なり。と米国に留学するのでした。

ほんと初めての海外からこの時までほんとに自分が外国を歩いてまわるようになるとは思わなかった。でもそれを変えてしまうほどの要因が人生には隠れているんだな、と今になってしみじみと感じる。

ただし今でも変わらず苦手なものがある。間接照明。あのオレンジ色の薄暗い感じはほんとによくわからない悲しみを僕の心に運んでくる。多分蛍光灯で育った生粋の日本人の証だろう。逆に西洋の人の多くは蛍光灯を嫌う。あの光の色と明るさが病院を思い出させるの、というのだ。文化もそうだが、デザインの会社を経営していてひしひし感じるのは目の色の違いによるいろの見え方の違い。そこも大きいと思う。そんな話もまた未来に。

少しサボらせてもらった僕のプチエピソードを読んでいただきありがとうございました。きっと興味深いものではなかったでしょうが、まぁそんな記事にもお付き合いください。ではまた。

To be continued

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マサチューセッツ州の州議会議事堂(今もボストン行ったら必ず挨拶に行く場所になった。)



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